恋愛に何を求めますか?
人は誰しも、理想を持つ。
「高身長」「整った顔立ち」「安定した収入」
「知的で仕事が出来る」「前向きで努力家」
「優しさを忘れず、常に自分を愛してくれる」
完璧な理想像を描くのは簡単だが現実は、その通りにはいかない。
理想を挙げれば、キリがありません。
男性の場合は「美人系」「可愛い系」「セクシー系」等、好みのタイプで分けられることが多いかもしれませんね。
人は無意識に、条件を突き合わせて相手を選別している。
それが良い悪いではなく、ただ事実として存在している。
人は誰しも、こんな人だったらいいなというイメージを持っていて、無意識のうちにその”フィルター”を通して、相手を見ているのだと思います。
つまり「理想に近いかどうか?」という基準で、出会った相手をふるいにかけてしまうのです。
恋愛において、「出会い」は入り口にすぎない
恋愛において、見た目や条件といった”入口”があるのは否定できません。
しかしそこをクリアしたとしても、付き合ってみなければその人の本当の姿は分かりません。
人間性がどうであれ、まず外見や雰囲気、社会的条件が”最初の関門“でありそこを超えなければ、本質が見えることはないし関係が深まることはない。
そうして初めて、友達止まりか、それとも恋人になっていくのかが決まってくるのでしょう。
理想のイメージが壊れた時
理想と現実の差に、戸惑う人は多い。
「付き合う前はもっと優しかった」
「若い頃はもっと綺麗だった」
それは相手が変わったのではなくあなたの理想というフィルターが剥がれ、実像が見えてきただけの話です。
それは
「等身大の相手を愛せるかどうか?」ということです。
人には誰しも長所と短所があります。
その両方を引っくるめて”その人”であるのに、「ここは好きだけど、ここは嫌」と切り離すことは出来ません。
人を自分の思い通りにコントロールすることは出来ないのです。
だからこそ、ありのままの相手を、まるごと受け入れられるかどうか。
それが恋愛において、とても大切なことなのだと私は思います。
相手を理解するとは、切り分けることではなく、全体として受け入れることに近い。
完璧である必要はない
恋人とは、パーツで構成された製品ではないし、
良い面とそうでない面が混ざり合って、一つの人間になっている。
都合のいい部分だけを抜き出すこと等出来ない。
その時間で、どこまで感覚が合うか。
一緒にいる空気が、自然かどうか。
結局そこに尽きます。
恋愛は「与える愛」がなければ続かない
「愛されたい」「大切にされたい」
その気持ちは誰もが持っています。
しかし「自分は相手に何をしてあげられるだろう?」という視点が、いつの間にか抜け落ちてはいませんか?
恋愛やパートナーシップは、互いが鏡のように影響を与え合っている状態です。
与えた愛が、形を変えて返ってくる。
どちらか一方だけが愛情を注いでいる状態では、バランスが崩れてしまいます。
恋愛とは、見返りを求めないバランスの上に成立しています。
「自分はこの人に、何が出来るか」
その視点を持たない限り、どんなに理想に近い相手と巡り会っても、結末は変わらないと思います。
最後に
理想を持つことは、悪いことではありません。
でも、その理想に縛られて、目の前の相手の”本当の良さ“を見落としてしまうのは、少しもったいないと思うのです。
どんな関係も、相手を思いやる気持ちを持って、丁寧に育てていくことが大切。
完璧な人はいないからこそ、不完全なままのその人を愛する強さを、私たちは育んでいきたいですね。
等身大の相手と、等身大の自分が、誠実に向き合えるかどうか。
恋愛の本質は、案外そこにあるのかもしれません。終わり。
※ストーカー行為、モラハラ気質の人間には通じない・むしろこの通りにしたら大迷惑な内容なので、真っ当な生き方を歩んでる・感性がある人向きです。
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