ジャンヌ・ダルクといえば、フランスを救った「乙女」として知られ、今なお歴史の中で英雄視される存在です。
ジャンヌ・ダルク(Jeanne d’Arc)は、15世紀のフランスの軍人であり、カトリックの聖人でもある女性です。フランスの国民的ヒロインとして知られ、百年戦争中にフランス王国の勝利に大きく貢献しました。彼女は神の啓示を受けたとして、オルレアンの包囲を解き、シャルル7世を王位に就かせ、フランス王国の復興に尽力しました。しかし、19歳で火刑に処されましたが、後世にその名を語り継がれています。
ですが、彼女の人生と最期、そして死後の霊的な状態について、私たちはどれだけ深く考えてきたでしょうか?
最近、ジャンヌを霊視したという方の話に触れる機会がありました。その中で非常に印象的だったのが、「ジャンヌは神からの啓示を受けていたのではなく、精神的な要因から幻聴や幻視を体験していたのではないか」という視点、そして「亡くなった今でも成仏が出来ていないようだ」という霊的な現状です。
これはジャンヌの人生を歴史的背景とともに見直す上で、非常に重要な手がかりになるのではないでしょうか。
https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1120010065.pdf
ジャンヌは何故成仏が出来ないのか?
ジャンヌが昇天できない理由の一つとして考えられるのが、彼女自身の思い込みです。
彼女はキリスト教信仰に生きた少女でした。しかしその最期は、異端とされ、火あぶりという最も過酷で屈辱的な方法で命を落とします。
「自分は異端者として処刑された」という自責や絶望が、彼女の魂を縛っていると考えられます。
特に中世のカトリック世界観では、火あぶりは天国とは真逆の”罪深き死“でした。ジャンヌ自身がその価値観に深く縛られていたなら、自分には救いがないと信じ込んでいてもおかしくありません。
ジャンヌ・ダルクの霊が「啓示ではなく、精神的な内因から来たもの」だったという霊視の見解は興味深いです。
彼女の啓示体験については歴史学者の間でも意見が分かれており、統合失調症的な症状の可能性や、一種のトランス状態(宗教的幻視)とみなす見方もあります。
また、処刑された後に昇天できなかったというのも「自分は異端として処刑された」という強烈な思い込みが、自縛霊のような状態を作ってしまったという可能性は否定できません。
特にキリスト教的な世界観では「火あぶり」は異端・呪われた者への刑であり、ジャンヌ自身がそれを内面化していたなら、自分には天国へ行く資格がないと感じていても不思議ではありません。
中世ヨーロッパの戦争とジャンヌの「扱い」
ジャンヌが処刑されたのは、宗教裁判によるものであり、戦争捕虜としてではありません。これは非常に重要な点です。
当時の中世ヨーロッパでは、戦争といっても現代のような大規模な国家戦争ではなく、貴族の騎士団とその従者による小規模な武力衝突の連続でした。
兵力も限られており、傭兵(特にバスク人やスイス人)によって人数を補うのが一般的。
また、戦争で捕まっても殺されることはほとんどなく、多くは金銭で買い戻される(身代金)か、捕虜交換によって解放されていました。
それにも関わらず、ジャンヌは見捨てられました。
もし彼女が本当にフランス王にとって「重要な存在」であったなら、当然身代金を払って取り戻されたはずです。ですが実際にはそうならなかった。それはつまり、フランス王室が彼女を政治的に不要と判断し、利用しきった後に切り捨てたという現実が浮かび上がります。
ジャンヌの扱いは極めて異例です。
● 中世ヨーロッパの戦争観
- 当時は「職業軍人」という概念がなく、騎士(貴族階級)が軍事行動に従事し、主従関係に基づく軍事動員が基本でした。
- 傭兵(特にスイス人やバスク人)は穴埋めの役割。
- 捕虜の扱いは極めて現実的で、金銭的な価値に基づく「身代金ビジネス」が当たり前でした。
● ジャンヌが買い戻されなかった理由
- 本来なら、彼女ほど象徴的な存在は身代金を払って取り戻すべき存在。
- それがされなかったということは、フランス側があえて「見捨てた」とも取れる。
- 一説には、フランス王シャルル7世にとってジャンヌは「もはや不要」な存在となっていたとも。
● 軍人ではなく異端者として裁かれた理由
つまり政治・宗教両面で捨て駒にされたとも言えます。
騎士でも貴族でもないジャンヌは、戦争犯罪人ではなく異端者として宗教裁判にかけられた。
宗教裁判という形は、処刑に正統性を与えるための政治的演出でもありました。
軍人としても貴族としても扱われなかった少女
ジャンヌは貴族ではなく、正式な軍人でもありませんでした。故に、彼女は「戦争犯罪人」ではなく「異端者」として宗教裁判にかけられました。
ここから見えてくるのは、「フランスの英雄ジャンヌ・ダルク」は、実際には両陣営の都合の良い道具として利用され、最後には切り捨てられた犠牲者である、という残酷な現実です。
ジャンヌを英雄視することの違和感
19世紀以降、ジャンヌはフランスの国家的象徴として「純粋な信仰の乙女」として美化されました。特にナショナリズムの高まりや、カトリック復権の文脈においては都合の良い存在だったのでしょう。
ですが、もし彼女が死後も苦しみの中にいるとすれば、それはむしろ”歴史によって二度殺された魂“とも言えるのではないでしょうか。
ジャンヌ自身の魂の救済がなされないまま、後世の人間たちが彼女を「利用し続けている」としたら、それはまさにフランス史における美化された悲劇であり、汚点なのかもしれません。
ジャンヌは、19世紀になってからナショナリズムとカトリック復興運動の文脈で「英雄化」されました。
・ナポレオン時代以降、フランス人にとってジャンヌは「純粋で神の声を聞いた民衆の象徴」となった。
・しかし、それは「政治的な都合」による再構成でもあります。
・本人が成仏できていないという霊的視点から見ると、まさに「現世利益のために祭り上げられた魂」とも言え、真に救われていない存在と言えるかもしれません。
〜ジャンヌに本当の安らぎを〜
ジャンヌ・ダルクは、確かに多くの人の希望となりました。しかし、彼女が心の底から救われていたかというと・・・それはまた別の話。
私たちが彼女を語る時、美しい「物語」としてだけでなく、その裏にある真実にも目を向けることが、彼女の魂を少しでも癒すことに繋がるのではないかと思います。
本当に彼女が成仏が出来る日は、まだ訪れていないのかもしれません。
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