「男」とは何か?──性自認と社会規範の狭間で見た真実

心の探究

「男ってなんだろう」。

この問いは、rの住人ピエロ氏の動画が提示する、ある一人の人物の深く個人的な体験から始まり、やがて社会全体に横たわる「男性性」という概念の、時に残酷なまでにリアルな側面を浮き彫りにします。

これは20代で男性になった人の体験談です。

幼い頃、彼女は男の子の中に混じって遊ぶことに何の違和感も抱かず、見た目も少年そのものでした。しかし、小学5年生で訪れた初めての月経は、彼女の世界観を根底から揺るがす出来事でした。「体からはお前は女子だぞと突き付けられた感覚」。自分では男性だと認識していた自己と、否応なく変化する身体の間に生じた乖離は、「自分は何者なのだろう」という根源的な問いを突きつけました。

初恋の相手は女性でした。当初はそれが恋愛感情なのかも分からなかったものの、中学生になり、「自分は女の子が好きなんだ」と自覚します。スカートを嫌い、ジャージを下に履き続ける日々。家庭ではこの思いを誰にも打ち明けられませんでした。楽観的な父、世間体を気にする母、そして複雑な家庭環境。「今言えば全てがぐちゃぐちゃになる」という予感は、彼女の口を閉ざさせました。

自己の解体と再構築:カミングアウト、そして「男性」へ

実家を出て一人暮らしを始めた時、彼女は「男性」として生活を始めました。しかし、実家に帰れば「娘」として振る舞わなければならない。そのたびに、「自分がバラバラになるような感覚」に襲われました。

初めて親に正座してカミングアウトしたのは18歳。父は泣き崩れ、母は錯乱したように笑っていました。沈黙の中、彼女はそのままバイトへと向かいました。その夜、父からのLINE。「これからはお前のことを息子として接する。母親は世間体を気にするから、これからは母親がいない設定として過ごしてほしい」

完全に認められたわけではないものの、父からの同意を得て、21歳でついに戸籍上も「男性」となりました。「やっと男になれた」──その解放感はひとしおでした。

しかし、その解放の先に待っていたのは、別の形の現実でした。

「男」として生きることの”生きにくさ”

「男性って社会ではこんなに雑に扱われているのか」。それは、彼女が「男性」として生きて初めて直面した、予想外の現実でした。表現は難しいが、「当たりがきつい」と感じることが増えました。

運送会社で働いていた時のこと。先輩に「筋肉チェックをするから脱げ」と言われ、当時手術したばかりで傷が生々しく戸惑っていると、隣にいた同僚が助けてくれました。この時に「女性だったら絶対言われないことを、男だと言われるんだな」と感じた──。女性だった頃、男友達と遊んでいても、自分だけ「お前は何時まで遊ぶつもりなんだ」と帰宅時間を問われていた。それまで女性扱いされるのは嫌だったけれど、実はそれなりに大切にされてきたことも、この時初めて身に沁みて分かったと言います。

人間関係や職場環境でも、男性と女性の違いの差に身を持って感じました。職場で女性は金髪やピアス、ネイルが許されるのに、男性は短髪で髭を剃るのが当たり前、少しでも髪が茶色いと真っ黒に染めるよう指示される──。男性になれたことは心から良かったと思う一方で、男性には男性特有の生きにくさがあると気付かされたのです。

「男」とは何か?──社会的役割と孤独の定義

驚くべきことに、WHOの先進国のデータでは、最近特にZ世代を中心に性同一性の問題を自己申告している方が1〜2%がいるということがわかりました。自己申告なのでこれよりもっといるのかもしれませんが、性別不一致が100人に一人ってすごい多いと思うんですね。また面白いのが、性転換手術で女性から男性になり、「何か違う」となり、再び女性に戻った人が70%もいるというデータがあるそうです。その理由は「後悔以上に自己認識の変化」。簡単に言ってしまえば、女性が想像する「男」という生き物と、実際に「男」として社会で生きる現実がかけ離れていた、ということなのです。

rの住人ピエロ氏の動画は、「男は権威的な存在でも何でもない」という結論に至った彼女の視点から、社会における男性の役割をこう定義します。


「男は虐げられ無視され、感情を隠し、声を上げず、その中でも淡々ととして生きていくものだからです。」

冒頭のトランス女性の言葉を借りるなら、「自分なんていないかのように」存在すること。それが「男」なのだと。

最近見た悲しい発言を見つけたようで、小さい子供に接する際、「おじさん」という存在は害悪であるかのように見なされ、男性はちゃんと年齢通りに子供と遊んで、周囲に自分が危険ではないことをアピールしなければならないという、なんとも言えない世間のイメージが植え付けられているという笑えない現実があったと言います。

rの住人ピエロ氏が外で歩いていた時に見知らぬ女性に睨まれたとあって、「俺、何かした?」と思ったそうです。

この経験は、性転換を考えている人々への厳しいメッセージに繋がります。「誰かに承認されたいという理由で男性になるのなら、やめておいた方がいい」。

何故なら、男性として生きることは、「虐げられ、馬鹿にされ、蔑まれ、孤独で、誰からも褒められるわけでもなく、助け舟も来ない」現実を意味するからです。

自分で結果を出せなければ存在意義はないと見なされ、例え結果を出しても「出来て当たり前」とされる。頑張らなければ、その人生はまるで「独房」のようだというのです。

孤独を受け入れ、誇り高く立つ「男」の道

だからこそ、「男になる」ということは、社会からの承認を求めることではなく、自分自身の誇りだけで立つことを意味します。

このような話をすると、コメント欄にはネガティブな言葉が並ぶかもしれません。しかし、そこで黙って、仏のようにその言葉を眺めている人こそが、「本物の男」なのだとrの住人ピエロ氏は語ります。



「ようこそ、誰からも認められない世界へ。」

これは、性自認の旅路の果てに彼女(彼)が見出した、社会における「男性性」の孤独で、しかしどこか崇高な真実なのかもしれません。

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