※本記事は一部に都市伝説・歴史仮説を含みます。事実として確認されていない内容も含まれますが、あくまで読み物・考察としてお楽しみください。
「タルタリア」とは何か?
「タルタリア帝国」という言葉を聞いたことがありますか?
かつて、世界地図に記されていた謎の帝国タルタリア。現代のロシアやシベリアを中心に広がっていたとされるこの存在は、19世紀以降の地図から突然姿を消しました。
しかしこの「失われた文明」が再び注目を集めています。
そして驚くべきことに、日本もタルタリアの影響下にあったのではないかという説があるのです。
北海道はかつてタルタリア領だった?
ある仮説によると、北海道はかつてタルタリアの領土だったとされ、日本の他の地域もその影響を受けた「友好国」だったといいます。
大正〜昭和期の詩人・安西冬衛が詠んだ詩「春」には、こんな一節があります。
「ちょうちょうが一匹、韃靼(だったん)海峡を渡って行った」
この「韃靼海峡」とは、現在の「間宮海峡」、すなわちサハリン(樺太)とロシア大陸の間にある海峡のこと。ヨーロッパ諸国では「タタール海峡」と呼ばれています。
日本とタルタリアとの結びつきを示す、詩的でありながらも象徴的な表現だと考える人もいます。
「たたら」と「タルタリア」の関係?
日本全国には「たたら」と名の付く地名が多く存在します。たたら製鉄に由来するものですが、「たたら=タルタリア」との関連性を指摘する説もあります。
かつて鉄を生産する高度な技術が、実はタルタリア文明からもたらされたものだったとしたら・・・・?
以下に、日本全国の「たたら」に関係する地域・特徴・史跡などをまとめます。
【1】中国地方(島根・鳥取・岡山):たたら製鉄の本場
● 島根県・奥出雲地方(雲南市、奥出雲町)
- 日本有数のたたら製鉄の中心地。伝統的な製鉄法「たたら吹き」が現代まで継承されている。
- 日刀保たたら(にっとうほたたら):現在も稼働している日本唯一の伝統製鉄炉(刀剣用の玉鋼を生産)。
- 鉄の歴史博物館(雲南市):出雲たたらの歴史や製鉄の道具・工程を学べる。
- 神話とも関係があり、「もののけ姫」のモデルとも言われる。
● 鳥取県日南町
- たたらの技術者が山深くに集まり、製鉄を行っていたとされる。
- 「たたら民俗館」があり、生活様式・信仰も紹介。
● 岡山県新見市・真庭市
- 古代吉備国の一部であり、鉄鉱石(砂鉄)が豊富。
- たたらによって発展した集落や神社が点在。
【2】近畿地方
● 兵庫県宍粟市・佐用町・養父市
- 播磨地方では「山内(さんない)」と呼ばれるたたら集落が多く存在。
- 「千種鉄」等、質の高い鉄が取れた。
- 地元神社では「鍛冶神(カナヤマヒコ)」や「たたらの神」を祀る信仰が残る。
【3】四国地方
● 高知県・徳島県山間部
- 「仁淀川」流域等で小規模なたたらが点在。
- 地元では山の神信仰と融合し、たたらの技術者が特殊な集団として扱われていた。
【4】九州地方
● 熊本県・大分県
- 阿蘇山系や耶馬渓周辺で、鉄を採掘・加工していた遺跡あり。
- 「タタラ谷」「タタラ山」等地名が残る。
【5】東北地方
● 秋田県・岩手県・青森県
- 製鉄はやや後発だが、江戸時代には南部藩が軍事目的でたたら製鉄を発展させた。
- 「たたら場跡」が多く確認されている。
【6】関東地方
● 群馬県(赤城山周辺)
- 古くから製鉄の伝統があり、たたら製鉄跡が多数。
- 「たたら峠」「たたら沢」等、名称としても残っている。
● 埼玉県秩父
- 山間部でのたたら製鉄の名残。鉱山や鉄鉱石の採掘も盛んだった。
【7】中部地方
● 新潟県糸魚川市・長野県佐久市
- 火打山等から取れる磁鉄鉱が、古代より利用されていた。
- 「火打ち金」「火打山」との関連性も興味深い。
【8】北海道・東日本での「たたら」の言葉と地名
● 北海道
- 江戸期以降に本州から技術者が入植し、道南で製鉄を試みた記録あり。
- 「たたら沢」「たたら林」等の地名が一部に残る。
- アイヌ語ではない和語の地名として興味深い存在。
和風じゃない?江戸時代の建築と服装の謎
17世紀、オランダの宣教師モンタヌスが描いた『日本誌』には、私たちが思い描く”和風”とはまるで異なる日本が記されています。
例えば京都の三十三間堂。和風建築の代表格と思われがちですが、当時描かれたその姿はまるでローマの神殿。人々の服装も、まるでインドや中東、あるいは西洋のようです。

また「日本の神カンノン(観音)」の絵には、ナーガのような存在が描かれ、タルタリア様式と思しき石柱とアーチが並びます。
これらの記録は、私たちが教科書で学んだ「江戸時代」とはあまりにも異なる光景を示しています。
現在の三十三間堂は和風そのものですが。→https://www.sanjusangendo.jp
アンベールの「将軍家の寺」も西洋建築?
幕末を訪れたフランス人画家アンベールが描いた「将軍家の寺」は、現代の芝・増上寺だと推定されます。

しかしその姿は、まるでギリシャ神殿。現在の増上寺とは全く似ていません。
ではこの巨大建築はどこへ消えたのか?
地下に埋もれた文明?マッドフラッド説
その謎を解く鍵とされるのが、「マッドフラッド(泥の洪水)」という仮説です。
これは19世紀初頭、1816年に世界中で起こったとされる大災害で、大量の泥により都市全体が埋もれてしまったというもの。
日本でも、多くの都市の建物が石の基礎の上に建てられているのはこの災害の名残とされています。
実際、古い建物の「地下1階」が地上1階として使われている例は少なくありません。埋もれた下層が、マッドフラッド以前の建造物である可能性も・・・・?
増上寺はマッドフラッド後の建物?

将軍家の寺こと、1974年に再建された現在の増上寺は、石の階段の上に建っています。これが意味するのは、「再建された時点ですでに地形が変わっていた」ということ。
つまり、かつての増上寺はすでに泥に埋まり、現在の寺はその上に築かれたものかもしれません。
日本全国に存在した「タルタリア建築」の名残
新潟・大阪・東京等、日本全国の主要都市にはかつてタルタリア風の建築が多く存在していたとされています。
昭和12年の大阪・中之島、日露戦争当時の新橋にあった「凱旋門」等、どれも驚くほど西洋的で巨大な構造物でした。
それらは単なる装飾ではなく、無線電力や気の流れを整える機能を持ったタルタリア文明の遺産だったという説もあります。
江戸時代の大飢饉、本当に飢えが原因だったのか?
1833年の「天保の大飢饉」では、数十万人が死亡したとされます。
その後に「疫病」が流行したと記録されていますが、一部では「疫病ではなく、実は被爆だったのではないか」という見方も。
当時の梅田で発見された1500体の遺骨。埋葬されたのは庶民の墓地とされていますが、果たして本当にそうだったのでしょうか?
実はマッドフラッドが原因だったのでは・・・?・・・と。
そして最大の疑問。「江戸時代はなかった」?
もしも・・・、
マッドフラッドにより、かつての都市が壊滅しその後、短期間で「江戸時代」というストーリーが構築されたとしたら?
つまり私たちが信じている「江戸時代」とは、明治以降に作られたリセット後の歴史に過ぎなかった可能性もあるというのです。じゃあ時代劇というのは・・・?
家系図やお墓は明治時代に入ってから作られたものが大半です。家系図が売られていた時期もありました。一部に本物の家系図が残っているくらいでしょう。
終わりに。フィクションか、それとも忘れられた真実か
この記事でご紹介した説は、学術的に証明されたものではありません。
しかし歴史にはまだ私たちの知らない「空白」や「失われた物語」が存在するかもしれません。あなたは、どこまでがフィクションで、どこからが真実だと思いますか?
現代に生きる私たちがこうして再評価することは、「失われた技術」だけでなく「失われた精神性」を見つめ直すことに繋がるのかもしれません。
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