これは人によって様々なのですが、環境がそれなりに恵まれているのに「死にたくなる」人が日本には沢山います。私自身精神疾患の方と接してる仕事をしているので働いた当初は「え、こんなしっかりしたように見えて・・・」と最初は驚いたものです。
多くの人たちは輪廻転生の意味を理解していない
原因は前世かもしれないし何か憑りつかれているのかもしれない。この世の中は当たり前に霊と共存して生きています。見えていないってだけで。だから遊び半分で心霊スポットに行かない方がいいしYouTubeでの心霊現象を映したものを見ても危険です。
その周波数で寄せ付けられてその場にいる怨霊が対象者に憑いてしまうこともあるからです。
しかし多くの方々は”魂“というものを知らなければ、前世という柵(しがらみ)に気づかない人が当たり前にいます。宇宙人やオカルトは信じるのにこれだけは信じない・・っていう人もいるでしょうね。
誰もが、自身の魂で自分を守っています。守護霊と言われる霊は補助的な存在、血筋の先祖の霊が多いです。常に悪霊などと戦っているのは自分自身(魂)で肉体を守るのが現世での生き方だと思います。
占い師さんの存在は信じてるのに霊能師さんの存在はあまり関心がないなど・・・。
まぁそうだと思います。私も知らなかったので・・・。
そういう非科学的なものが知らないから親はパニックになり病んだ子供を精神科に受診させて逆効果な道に進むことになる・・・と。
正直言えば福祉の仕事をしてると「ああ・・・」となるような方々を数名見てきました。
精神病院の実態
いわば精神病院は絶対行っちゃいけない。そこには多くの負の感情が埋め尽くされてるので当然色んな霊が寄せ付けるし(自死する方も多いので)、実際問題、多くの精神病院の実態は悲惨なものです。
除霊師さんや霊媒師さん・・・出張で病院に来て除霊しても長い事憑依されている方は回復に時間が掛かるのと後遺症が出ています。
治るのも困難な為本人に精神病院を勧めて入院するのですが病院によっては酷いところもあります。 精神病院の医療費は全額国が負担するので高額な治療をしたがるからです。
高額治療とは隔離病棟に患者をいれて身体拘束をすることでより高い治療費が請求できます。 除霊した人の殆どが高額治療を家族に勧められますが、これが何ともひどい扱いです。
自殺を繰り返す人には自殺霊が憑依しやすく除霊してもすぐに別の自殺霊が憑依します。
どうしようもないと心苦しいけど仕方なく”病院に勧める”けど、病院の実態を知っていると勧めたくありません。実際に入院しても精神疾患は治りませんし、余計にひどくなって長期入院することになります。 除霊で面会に行くと必ず「助けてくれ」と言われるそうです。
鉄格子に紐状の物、ランニングシャツ、枕カバー、シーツ、布オムツ、衣類などを切り裂いて結んで紐にして輪っかを作り、そこに自ら首を掛け吊って自死した患者は二桁を優に超え3桁になるとのこと。
入院が長い人では、10年、20年と入院を続けていることは珍しいことではない。精神病棟での長い療養生活は、電気ショック・インシュリン療法・恐怖の生活指導があります。その中でも閉鎖病棟は、重度の精神病患者を収容する病棟で施錠が厳しい。
外出を許可されることは、まず滅多にない。窓という窓には、逃亡を防ぐために頑丈な鉄格子がはめ込まれています。
10代の子でさえ身体拘束をさせ、入浴も外出も出来ず、無機質な独房のような個室で”精神の改善の兆し”が見せなければずっと極限の地獄を味わうことになります。
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。
そして精神病床への入院患者数は約28万人精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。
人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積みしている。
犯罪を犯す人もほとんど憑りつかれてるので例え刑務所で更生させたところで治らないのです。根本的な原因を取り除かないと。
様々な霊能師・霊媒師がいる
イタコと呼ぶ口寄せという技法を使って死者や生者の霊を呼び出し自分の身に憑依させて相談者と会話させることができるシャーマンに属する霊媒師もいれば、色んな力を持った方が存在しています。
私の個人的な主観ですがそういう方はアナログな生活をしてることが多くあまりSNSで宣伝しないイメージです。ただ本当に困ったら必死で探すでしょうしたどり着くと思います。
(しかし年々時代と共に減っていってるのではないかと感じています)
そして何より相談者本人も強い気持ちで生きていかないとまたこのような悲劇が来るということ。
日本人の半数は鬱を抱えている
イスラム国でもなく北朝鮮でも中国でもなく日本の本当の敵は鬱病です。
自殺には多くの場合、前兆があります。
ひどくイライラしていたり落ち込んでいたりした人が、急に回復したように見えるときは危険です。もう死のうと決心したことで、今まで苦しんでいた肩の荷を放り出してリラックスした状態かもしれません。また、今まで、家族のことをあまり構わない人が急に優しく気にかけるようになったり、身辺整理している様子がある時も、自殺の前兆が考えられます。
鬱病患者の男性自殺者のうち、約7割に”疲労感“と”無価値観・罪悪感“のエピソードがありました。このあたりになると、周囲も”ちょっと危ないぞ”と感じるのではないでしょうか。
自殺の2週間前くらいから、”夜眠れない”や、逆に”寝過ぎる”などの症状を訴えることが多かったようです。睡眠薬を必要としたり、増量したりするのも特徴的です。
なかなか解決しづらい世の中ですが原因は何処から来ているものか・・・。
最後にとある霊媒師さんの言葉を借りて終わります。
自殺してもあなたは存在し続ける
自殺者は日本だけで見ると、年間3万人ほどだと「公称」されているが、実際はもっと多いだろう。なぜなら、ここには「変死」が含まれていないからである。
このあたりの諸事情は、今では誰でも調べることができる。
そしてそれを踏まえればなおさら、私がなにより強く言いたいのは、自殺はどんな状況でもやめたほうがいいということだ。
だがそんなことはもう多くのひとが言い尽くしていることでもあるし、もしあなたが自殺を真剣に検討しているとしたら、誰になんと言われても、そんな言葉など聴こえないかもしれない。しかしあなたは信じないかもしれないが、私はあなたにこれだけははっきりと言える。私は今まで、自殺して後悔しなかったひとに出会ったことはないのである。
「自ら死を選んでしまうほどこの世に絶望しているのに、なぜ死んでから後悔するのか?」とあなたは思うかもしれない。
しかし、私もそれなりの数の自殺した霊に関わってきたが、その多くが3日以内、あるいは当日のうちに(もちろん肉体人の感覚で言っている。霊界には時間の概念があるともないとも言える)、後悔の念を口にする。その理由を最大公約数的に3つ挙げたい。
ひとつは、「死後の世界が存在すると思わなかった」ことによる後悔である。
自殺したひとは、「死ねば無になる」とか「死ねばラクになる」と思っている場合がある。確かに、あなたをいじめていた相手は霊界にまでは手を出してこないし、周囲の人々に傷つけられることもなくなるかもしれない。しかしそれでも、「あなたは存在し続ける」のである。
そもそも、自殺するひとの多くは「周囲との関係を断ち切りたい」という想いを持って死ぬので、死ぬと孤独な世界に行く。さらに、そんな状態に「喜び」が多いはずはないので、結果として「暗い、寒い、淀んだ」ような世界になる。
あるいは、自殺の際に傷つけた箇所の痛みを感じ続けることさえある。肉体が消滅しているのになぜそのような「感覚」があるのかと驚愕するかもしれないが、「苦しみ」の根源は「心」なのであるから、「苦しい」と感じる心が変わらない限り苦しみは続くのである。
また自殺者は「自殺」という行為を通じて強烈に「肉体を意識して」死ぬ。だから、あれほど消し去りたいと思っていた肉体への執着は、むしろ強まるのである。だから、肉体意識から逃れられず、死後もその感覚に縛られることになる。この「現実」が、あなたを後悔させる。
次は、「自身の思い込みに気付いた」ことによる後悔である。
自分のことなどなんとも思っていないと思っていたあのひとがあんなに悲しんでいること(霊の眼には、相手の「想い」が見えるので、表面的な「演技」であればすぐに見抜ける)、自分を嫌っていると思っていたひとがとても寂しがっていること、つまり、「自分が愛されていたこと」に気付くのである。「自分にはそんなひとはいない」とあなたは言いたいかもしれない。それでは100歩譲って「肉体人」にはいないとしても、あなたには絶対の味方である「守護霊」がいる。
守護霊は、いつもあなたを見守り、励まし、愛している。ただ、あなたがそれに気付いていなかっただけなのである。この「現実」が、あなたを後悔させる。最後は、「自分にも未来があったことに気付いた」ことによる後悔である。自殺するひとは、「自分には生きていく術がない」、「自分の人生はもう終わりだ」などと思うからこそ死ぬのだろう。
しかし、私たちが生まれてくるのはなんらかの「やりたいこと」があったからであり、「自殺」して生を終えるつもりで生まれてくるひとなどひとりもいない。
ということは、本来喜びの大きい選択を続けていけば、誰しも素晴らしい人生を送れるはずなのだが、たとえ死を考えるほど追い詰められていたとしても、本気で考えるなら、まだ「生きる道」はあるのである。さらに言えば、たとえ最期が「餓死」でも「事故死」でも「病死」でも「悪い死にかた」ではない。
「生き抜いた」という価値は、それだけでかけがえのないものである。それに、現代日本で言えば、生活保護を受けるとか、自己破産するとか、路上生活するとか、本気になれば様々な方法で、曲がりなりにも「生き延びる」ことができる。
実際にそういった生きかたをしているひとびともたくさんいる。しかし、なぜあなたがそれをしないのかと言えば、それはその方法を知らないからではない。
「そんなことをするくらいなら、死んだ(自殺した)ほうがマシ」だと思っているからである。
しかし、「自殺したほうがマシ」だということなど、ひとつもないのである。あなたは、自殺の意味を、ちっともわかっていないのだ。
どうしても言うことを聴かない霊もいる。「自己選択の尊重」は絶対法則なので、本人が変わろうとしないなら、私にはそれ以上なにもできない。
しかし、私はいちど関わった以上、できる限りのことをしたいので、最後にはそのような霊を、ある場所に連れて行く。そこはまるで「魂の墓場」とでも言える場所だ。
勘違いしているひとも多いようだが、「魂が抹消される」などということはない。ただ、「限りなくエネルギーを失う」だけだ。どんな状況になっても、存在(魂)は消えない。
いつまでも、あなたが変わるのを待っている。
それこそが、真の「愛」なのだ。そしてその結果として存在するのが、この「魂の墓場」だとも言えるだろう。そこで私が見るものは、ただ石のように動きを止めた、無数の「眼」である。彼らとはもはや会話もほとんど成り立たず、憎しみや妬みすらも向けてこない。
なにを与えるでもなく、奪うでもなく、ただ、そこに「在る」だけの存在。これに比べれば、岩の下に「わずかの間」封印されていた(とされる)孫悟空への仕打ちもかわいらしく思えるかもしれない。
「これならいっそ、消えてしまいたい」。そう思うひとも多いだろう。
特に自殺を選んだようなひとならなおさらだ。しかし、神(いのちのはたらき)は「生きろ」としか言わない。もっと言えば、「存在」に「消滅する」という選択肢は用意されていない。何度も言うがこれこそが、真の「愛」なのである。究極の愛は、一見すると「罰」のようだ。しかし、「あなたがいつか喜びを見つけ出すことをいつまでも信じている」この態度を、愛でなくていったいなんだと言えばいいのだろう?
だから私は、どうしても変わろうとしない自殺した霊を、最後にここに連れて行くのである。そしてこう伝える。「あなたは、こうなりたいのですか?」
あなたが今のままでいれば、いつか必ずこうなってしまう。ここまで来ると、『他者』があなたを助けることはできなくなる。私も手が出せない。これがあなたの未来だ。
『知らなかった』と言うのなら、伝えなかった私にも責任があるが、私が持っている情報はすべて与えたのに、それでもあなたがこの道を変えなかったのなら、もう『知らなかった』では済まされない。
私はすべて責任を果たした。何度も同じことを言うつもりはない。ここからは、今度こそあなたの責任で決めてください」。
もし、あなたが自殺を考えているのなら、私はあなたにもこう言いたいのである。「知る」ということは責任が伴う。ここまで伝えて、それでも行くというのなら私にはもう打つ手がない。
しかし、いちど死んでしまったら同じ人生はもう2度とない。
5分後に後悔しても遅いのである。私は自殺を乗り越えた霊も数限りなく見てきた。だから、真の意味で「遅い」ということはないのだが、彼らと同じ後悔を、あなたにはしてほしくない。
死ぬ方法を考えるより、生きる方法を一緒に考えてはもらえないだろうか? これは私だけでなく、多くの存在の、心からの願いである。
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