【古代神話と封印された真実】天孫族と出雲族の戦い、二柱の天孫と出雲族の抗争

神々の歴史

古代日本の神話と歴史には、私たちが教科書では触れない深い物語が隠されています。その中でも特に注目したいのが、「天孫降臨」の神である饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の存在です。

天照大神の孫として有名なニニギノミコトが地上に降り立つよりも前に、別の天津神が天孫降臨を果たしていたという説があります。そしてその神こそが、今回の主役・ニギハヤヒなのです。

「天孫族」とは何か?

神話における「天孫降臨」とは、天照大神の孫「ニニギノミコト」が天から地上へ降り立ち、日本を治めるという話です。この系譜がやがて神武天皇へと繋がり、現在の天皇家へと連なるとされています。

この「天孫族」は、高天原(天界)からやってきた支配者階級であり、「天の命(あまのみこと)」を授かった存在。彼らは、神々の命によって地上を平定するという大義を持っていました。

天孫族である天照大神と素戔嗚尊ですが、『記紀神話 (ききしんわ) 』では、最初に出雲に渡来したのは素戔嗚尊です。

秦氏も渡来人ですが、素戔嗚尊は秦氏以前(紀元前)に日本に来ています。このニニギというのは、ヘブライ語の「ナ・ナギ」ではないかと考えられます。意味は「麗しの君」という意味になります。

「高天原」のタカマガハラは、日本語でタカマのハラ。

タガーマ州のハランのことであり、ヤコブがいた場所を意味します。

「葦原中国」の葦・原はヘブライ語で、カヌ・ナー、カナン。「高千穂」のタカチホは、タカ・ツィヨン、シオンの丘となります。

シオンの丘とは、今でいうエルサレムのことです。

つまり、「天孫降臨」の神話は、麗しの君がヤコブがいたハランから、カナンの地にやって来た話ということになります。(※これは一つの説です

一方の「出雲族」とは?

出雲族は、大国主命(オオクニヌシノカミ)を中心とする勢力です。彼らは地上の豊穣を司る神々であり、古来より日本列島に根を張っていた先住神族とも言われています。

神話では、天孫族が地上に降臨する前に、天照大神の命によって大国主に「国譲り」を要求します。

これは単なる神話ではなく、実際に起きた政権交代=権力構造の変遷を象徴しているとも言われています。

神話では、大国主はニニギに「国譲り」をしたとされています。

しかし、実際は国を譲ったのではなくニニギに奪い取られたのです。

大国主の軍隊とニニギの軍隊が戦ったのですが、大国主の軍隊はニニギの圧倒的な勢力にあっさりと負けたのです。大国主の息子は、「賀茂建角身 (かもたけつぬみ) 」であり、本名は「味耜高彦根 (あぢすきたかひこね) 」と言います。

京都の賀茂神社のご祭神で、じつはこの味耜高彦根が「八咫烏 (やたがらす) 」です。葦原中国を治めたニニギノミコトは、それまでいた神まで変えてしまいました。

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)とは何者か?

ニニギは天照大神の命により、高天原から地上(現在の宮崎・高千穂)へと降臨した神で、「天孫降臨」の主役とされます。彼は三種の神器(鏡・剣・玉)を携え、「天の命」を受けた正統なる王として、地上支配の礎を築いた存在です。

神話上の系譜

祖母(ではないw):天照大神
母:栲幡千千姫命(タクハタチヂヒメ)
妻:木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)
ひ孫:神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)(初代・神武天皇)

地上での功績

・地元の豪族と婚姻(天孫地祇の融合)
・農耕と祭祀文化の伝播
・天皇家の系譜の出発点となる

ニニギは、いわば「日本の建国神話の父」なのです。

木花咲耶姫はニニギの妻ですが、(一目惚れして結婚を申し込み)

木花咲耶姫は新婚初夜で身籠りますが、ニニギノミコトは自分の子ではないのではと疑います。 木花咲耶姫は身の潔白を証明する為に、ニニギノミコトの子であれば出産できるという誓約(うけい)をたてて産屋に火を放ち、炎の中で3人の子を無事に産み落とします。

という話が出ていますね。事実かどうかは定かじゃないですが、元々人間性に問題あるのは間違いないようですね。

神武天皇より先に現れた「もう一人の天孫」

初代天皇とされる神武天皇(磐余彦:いわれびこ)は、ニニギの子孫として九州から東征し、大和(現在の奈良県)に都を築いたとされています。

しかしその前に、すでに天界から降り立ち、近畿地方を治めていた神がいたのです。それがニギハヤヒです。つまり、天孫降臨は一度ではなく、少なくとも二度あったということになります。

饒速日命の謎と真の役割

さて、ここで登場するのが「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」という謎多き神です。彼は『古事記』や『先代旧事本紀』において、天照大神より先に地上に降りた天孫とされています。

なぜニギハヤヒは消されたのか?

ニギハヤヒは、天から遣わされて河内(現在の大阪・奈良周辺)に降臨し、地上の豪族・物部氏の祖となったと伝えられています。しかし奇妙なことに彼の功績はあまり語られず、「ニニギノミコト」の後塵を拝しているように見えます。

一説には、ニギハヤヒこそが本来の正統な天孫だったという説があります。つまり、ニニギではなくニギハヤヒこそが天照大神の真の意思を継ぐ存在だったのです。

ニギハヤヒは、天照大神もしくは高皇産霊尊の命により天磐船に乗って地上に降り、河内地方(現在の大阪・奈良)において勢力を築いたとされます。

彼は地元の有力者・長髄彦(ナガスネヒコ)の妹と結婚し、その一族に迎え入れられました。この時点で、すでに天孫族と地祇(地上の神族)との同盟を果たしていたと見る向きもあります。

天孫族 vs 出雲族:争いの果てに

神話では、天照大神の命を受けた天孫族が、出雲族に「国譲り」を要求し、大国主命がこれに応じるという筋書きですが、その裏では武力的な衝突や交渉があったと考える学者もいます。

更に、ニギハヤヒが天孫族の一員でありながら、すでに地上にいて地の勢力(出雲系)とも関係を持っていた可能性も示唆されています。

実際にはこれは単なる譲渡ではなく、戦いや政略結婚を含んだ複雑な政権移譲だった可能性があります。ニニギとニギハヤヒは、それぞれ異なる形でこの地上統治に関与していたのです。

このことから、ニギハヤヒは「天と地を繋ぐ存在」、あるいは天孫族と出雲族の架け橋であったとも言えるでしょう。

封印された血脈と物部氏の消失

ニギハヤヒの子孫は「物部氏」とされ、かつて大和政権において有力な豪族でした。大和朝廷の中枢で活躍し、特に軍事・祭祀・呪術に秀でた一族だったのです。彼らは軍事・神事を担い、天皇に仕える重要な家系でしたが、飛鳥時代には「蘇我氏」との争いに敗れ、表舞台から姿を消します。

これもまた、正統なる天孫の血脈を消す為の封印の一環であったという説が存在します。

何故なら、ニギハヤヒの血統が広まることは「ニニギを正統とする天皇の権威」を揺るがしかねないからです。

・・・・・・饒速日命(ニギハヤヒ)とは何者か?

古代における天照大神は、男性神として信仰されていたという説があります。

というか男性神なのです。

実際、『古事記』と『日本書紀』で性別の描写が明確になるのはかなり後の段階であり、それ以前の伝承では太陽神=男神であるケースが世界的にも一般的です。

性別改変の理由(諸説)

  1. ヤマト王権の正統化の為
    • ニニギ→神武へと続く王統を女性神・天照大神の「孫」とすることで、血統の権威づけ
  2. ニギハヤヒの正統性を隠す為
    • 天照=ニギハヤヒであるとすれば、ニギハヤヒこそ正統な統治神
    • その為、天照大神を女性神に改変し、ニニギ系に正当性を集中させた

つまりニギハヤヒ=天照大神を封印し、ニニギを”見える太陽“としたのではないかという見方が成り立つのです。

太陽神は「陽」であり、本来男性の方がふさわしいですね。

ギリシア神話の太陽神も男性です。

祇園祭の山車に飾られる天照大神の人形の顎に、ふさふさのヒゲが生えているのは有名で高野山の曼荼羅の天照大神も、やはり老翁でした。

「天照大神」という女神に変えられ、妻である「瀬織津姫 (せおりつひめ) 」や「櫛名田比売 (くしなだひめ)」「月読 (つくよみ/つきよみ) 」「木花咲耶姫 (このはなさくやひめ) 」等の神々を歴史から消してしまいました。

天照大神の神名は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日 (あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひ) 」と言います。

饒速日命(ニギハヤヒ)の正体

ニギハヤヒは最も優秀で最強な男とされており、実際に近畿で最強だった「長髄彦 (ながすねひこ) 」を高天原から32柱の神々を率いて天下り、倒しています。

日之本将軍と言われたナガスネヒコは、ニギハヤヒに降伏しています。

ニギハヤヒは「天鳥船 (あめのとりふね) 」といわれる圧倒的に強力な戦艦を持っていました。天鳥船とは、鳥が飛ぶように速く走る船を意味します。

神武天皇が大和に入ろうとした際、ナガスネヒコは「我々はすでに天孫・ニギハヤヒ様に仕えている」とし、神武側の正統性を疑います。

しかし、神武が天照大神から授かった弓矢(十種の神宝(とくさのかんだから))を示すと、ニギハヤヒはそれを天孫族の証と認め、ナガスネヒコに抵抗をやめるよう命じました。

そのニギハヤヒの子孫が先ほど綴った「物部氏 (もののべうじ/もののべし) 」となります。

ニギハヤヒと瀬織津姫の名前を知らない人が多いでしょうが、別名で覚えていることが多いです。

それは「織姫」と「彦星」です。ちなみにですがジブリの映画『千と千尋の神隠し』に「ハク」という少年が登場しています。

千(千尋)と同様に名前を奪われ、ずっと自分の名前を思い出せないでいたハクが、映画のラストでついに自分の本当の名前を思い出して言います。

「私の本当の名は、ニギハヤミコハクヌシだ!」

そして本当の名前を思い出したハクは、本来の龍神(龍体)の姿へと戻ります。

これは「アマテル・・・ニギハヤヒ」のことです。ニギハヤヒは、実際には「龍体」でした。

天孫族「アマテル・・・ニギハヤヒ」や「素戔嗚尊」の正体は、龍神なのです。

ジブリのこの映画は、神話の真実の一端を伝えていますね。(さすが宮崎駿さんですね。)

それでは兄弟である月読命の子孫が浦島太郎とされており、浦島太郎の「うら」は、「うら→裏」「うら→占」で、月読命は占いの神、裏世界・異世界の神。

浦島太郎と月読命は、京都府伊根町の浦嶋神社に一緒に祭られています。ニニギは天照大神を洞窟に幽閉しました。そして、新たな女神、天照大神を葦原中国の神として登場させたのです。

この話の内容がすっかり変えられ、「天岩戸 (あまのいわと) 伝説 」となっています。また、神武天皇はいたのですが、ニニギはその名を奪い、後の初代天皇となる「神武天皇」と名乗りました。

この神武天皇を初代天皇とし、現代まで天皇家が続いていくことになります。出雲国譲りではなく、激しい戦いの末、ナガスネヒコの軍がニニギの軍に破れ、奪い取られました。

最後はニギハヤヒが仲裁に入って戦いは終わり、ニニギに国を譲ったのです。天孫降臨したニニギのひ孫がイワレビコです。

・・・つまり、

天照とニギハヤヒはほぼ同一人物であり、シリウス星にルーツを持つ龍族です。ニギハヤヒはイエスキリストの祖先か、親族として関係のある血筋ということですね。

『日本書紀』と『古事記』、どちらが正しいのか?

絶対にこれは正しいではなく、歴史を深く探求していくと点と点が結ばれ真実が見えてくるのです。

『古事記』は暗号で書かれており、『日本書紀』は外国向け、つまり中国に向けて編纂されたものであり、本当の日本を知られない為に、真実を書いていません。

また、これらの『記紀』は藤原不比等が編纂したものであり、天皇や藤原家にとって都合の悪いことは書かれていないのです。

その為、饒速日命のこともほんの僅かしか記されていません。

真実は偽書と呼ばれる書物の中にあります。 古事記は、奈良時代に編纂された書物であり藤原不比等によって天皇と藤原家にとって都合が良くなるように、稗田阿礼を利用して内容が改ざんされたものです。その為に重要な部分が抜け落ちているのと、真実の部分は暗号を使って書かれています。

本当の『古事記』は竹内家に口伝として伝えられています。暗号を読み解くには、その口伝を参考にしなければ読み解けません。

日本の象徴的な「富士山」についても一切書かれていませんね。

それは何故でしょう。そこに「富士を中心とする王朝」があったからです。

それを知られることも、天皇と藤原家にとっては不都合だったのです。

瓊瓊杵尊の天孫降臨以前に、饒速日による王朝があったことも記されていませんね。

それが書かれているのは、『先代旧事本紀』や『ホツマツタヱ』等の古史古伝です。

神名系譜役割関連地
天照大神高天原太陽神・皇祖神伊勢神宮
ニニギノミコトアマテラスの孫天孫降臨の主役高千穂・霧島神宮
饒速日命高皇産霊尊の子(異説あり)先行する天孫、物部氏の祖河内・石上神宮
大国主命出雲族地上支配の神出雲大社
カムヤマトイワレヒコニニギのひ孫初代・神武天皇大和地方

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

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