スピリチュアル界隈に潜む落とし穴についての考察

心の探究

近年、SNSやYouTube等を中心に「スピリチュアル」や「覚醒」をテーマとした発信が増えています。その中で、魅力的なメッセージも多く存在する一方で、注意すべき傾向も見られます。

本記事では「クレオパトラと縁がある(例え)」「プレアデスの存在と会話している(例え)」といった主張に加え、「アヌンナキ」や「松果体」にまつわる言説についても、危惧すべき点を整理しました。

1. カリスマ性と自己同一化の危うさ

「私はクレオパトラの生まれ変わり」や「偉大な存在と直に会話している」といった表現は、聞き手に強烈なインパクトを与えます。しかしそれはしばしば、特別な自分像を打ち出して人を惹きつけるための手段である場合があります。こうした主張を鵜呑みにすると、冷静な判断を失い、発信者への依存が生まれる危険性があります。

2. スピリチュアルと現実の境界線

スピリチュアルな体験やビジョンは、個人の内面世界で確かに「リアル」に感じられることがあります。しかし、それを客観的事実と混同することには注意が必要です。夢や瞑想体験は尊重されるべきものですが、それをそのまま「歴史的事実」や「宇宙の絶対的真理」と結びつけるのは危うい行為です。

3. アヌンナキと松果体の関わりについて

一部のスピリチュアル情報では、「アヌンナキが人類の松果体を操作したことで、霊的能力が制御される一方で、新たな力も芽生えた」という説があります。

松果体は「第三の目」とも呼ばれ、直感・霊視・高次意識との繋がりに関係すると言われています。つまり、霊視やチャネリングといった能力は、アヌンナキによる遺伝的・エネルギー的な介入の副産物として生じた可能性があるという見方です。

松果体と第三の目は別物です。松果体は脳の器官です。第三の目とは、7つあるチャクラのうち、第6のチャクラのことで“内なる目”のことで、物質ではありません。

この視点では、「人類は制御される存在であると同時に、封印の中から力を発揮出来る存在」でもあります。

アダムを作ったのはアヌンナキであり自分たちのDNAと、当時地球にいたホモ・エレクトス (猿人) のDNAをかけあわせてアダムとイブを創造しました。これはシュメール文明の碑文に書かれており、また、世界各国の神話にも残っています。欧米人はそのアダムの末裔たちと、その子孫たちです。

そして日本人の祖先は太古から存在していた龍族です。

4. 霊的成長より「話題性」に偏るリスク

「有名人や偉人との縁」や「宇宙存在との会話」、「アヌンナキの秘密を知っている」といったテーマは、人々の好奇心を刺激します。ですが、そこで注目を集めることが目的化すると、本来の霊的探究や自己成長から逸れてしまう可能性があります。結果として「霊性の深化」よりも「フォロワー獲得の手段」になりかねません。

ここではっきり申し上げますが、霊能者と名乗る方はほとんどはYAP遺伝子は持っていないと思います。霊視が出来る人=必ずしもYAP遺伝子由来ではない。

時系列まとめ(改ざん史観ベース)

  1. 縄文時代(日本列島):
    紀元前1万年以上前から続く調和の文化。
  2. ピラミッド建造
    西暦500~800年ごろ(実際には中世の建造物)。
  3. イエス誕生
    西暦1000年前後。(イエス・キリストが生まれたのは2000年前ではないです。歴史は捏造された嘘であり、歴史に1000年が加えられています。)
  4. その後の西洋史
    ルネサンスや十字軍の時代と「聖書の出来事」が近接していた可能性。

5. 自己責任の放棄に繋がる可能性

「宇宙存在がこう言ったから」「過去世の自分がこうだから」「松果体が操作されているから仕方ない」といった理由付けは、時に現実の問題から目をそらす言い訳になってしまいます。スピリチュアルな視点は大切ですが、最終的には「今の自分の選択と行動」に責任を持つことが不可欠です。

だから、

ベート属だのギメル属だのよくわからない種類を作ったり、

インディゴチルドレンとは前世においてカルマを背負い悪魔憑き」って言ったり。

普通人は悪魔に取り憑かれると今世限りで魂が消滅してしまう」だの言ったり。

スターピープルに限っては悪魔が憑いても魂が消滅することはない」って言ったり。

クレオパトラの生まれ変わり」だの言ったり。

アヌンナキを「大いなるもの」とか言ったり出来るわけです。

(※ほぼ繋がってるの邪神じゃん)

それらはご自身の強い過剰なエゴと無駄なプライドからそう発言が出来るんです。自分一人分かってる気分になれるわけ。

大事なのは慈しみのある心です。自分の闇を乗り越えてそれを持てれば遺伝子というしがらみなんて関係なくなります。

宮沢賢治が述べたように、「全ての国民が幸福でなければ、個人の幸福はあり得ない」。

人は一人で生きているのではなく、「人類」という全体で一つの生命体であり、個人とは細胞の一つであるように思う。

一つの細胞がいかに利益や幸福を手に入れても、全体が不幸で不健康であれば、いつか人類は衰退します。 全体の健康、全体の幸せを個よりも優先させることが、本当の幸福だと思います。

ところで全ての国の言語は日本語から生まれてるのはご存知ですか?元々はゼロから生まれ、一つのものから派生しています。バラバラになって分けられてるのはいつでも闇側の仕組みということを知ってください。

まとめ

スピリチュアルな探求は、人生を深め、心を豊かにする可能性を持っています。しかし同時に、過度な神秘化や特別視が「依存」や「現実逃避」を招く危険もあります。大切なのは、

  • 情報を鵜呑みにせず、自分の感覚で検証すること
  • 「特別な存在」や「壮大な陰謀」より「日常の気付き」に目を向けること
  • 自分自身の行動と選択に責任を持つこと

こうした姿勢を保つことが、健全なスピリチュアル探究において欠かせないのだと思います。

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