【宇宙神話】天御中主神と”無”の神 〜本当の創造主とは〜

神々の歴史

神話に登場する神々は、多くの人が知るよりもはるかに深く、壮大な宇宙の真理を内包しています。

今回は日本最古の神典『古事記』に登場する「最初の神」天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)について、そしてその前段階に存在する「無の神」について掘り下げていきましょう。

最後に私たちが普段何気なく訪れる神社について語ります。

天御中主神とは?—『古事記』が語る最初の神

『古事記』には、こう記されています。

「天地(あめつち)初めて開けし時、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。」

「この世界がまだ形を持たなかった頃」、最初に現れた神が天御中主神であるというのです。

ただし注意してほしいのは、

この神は「人間のような存在」ではないという点。

天御中主神とは、”宇宙の根源的な存在“であり、時間や空間を超越したエネルギーそのもの。

神の中でも「宇宙神(根源神)」として扱われています。

宇宙のはじまり ― 名前も形もない存在

遥か昔、まだこの宇宙が形を持っていなかった頃、

「造化の気(ぞうかのき)」――万物を生み出すエネルギーが、ゆっくりと凝りかたまり始めました。

しかしその時点ではまだ、

姿も名前もなく、動きもない。

誰もその正体を知ることが出来なかったといいます。

それが、宇宙のはじまりでした。

最初に現れた三柱の神 ― 天地創造の起源

やがて、この見えざるエネルギーが動き始め、

「天」と「地」が分かれました。

この時、最初に現れた三柱の神こそが、日本神話における天地創造神です。

天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)  ― 宇宙の中心にある根源的な神
高皇産霊神(たかみむすびのかみ)  ― 創造と生成を司る神、陽的な力
神皇産霊神(かみむすびのかみ)  ― 調和と受容を司る神、陰的な力

この三柱が揃って、陰陽の原理が動き出し、宇宙に秩序が芽生えていったのです。

これがビッグバンのスピリチュアル的解釈

科学では「ビッグバン」が宇宙のはじまりとされています。

日本神話では、この三柱の神が登場するタイミングが、まさにそれに該当します。

エネルギーが集中し、爆発的に広がりながら光と闇、陰と陽が分離し、

宇宙が構造を持ちはじめた――それが「造化(ぞうか)」の瞬間。

では、その天御中主神を生み出したのは誰か?

ここからが本題です。

実は、『古事記』の本編が始まる前の「序文」には、あまり語られない大切な秘密が隠されています。

それは「天御中主神ですら、”何か“によって生み出された」ということ。

この”何か”とは何でしょう?

それが、「無の神」です。

「無」とは何か? それは本当に「何もない」ことか?

仏教や老荘思想などでも語られる”無”という概念。

しかしここで言う「無」とは、単なる「存在しない」という意味ではありません。

むしろ逆で、

“全てを含み、かつ、姿を現さない根源”

それが「無」の本質です。

この”無の状態”から、初めて「動き」が生じ、

それが「有」となり、やがて天御中主神という“かたち”を持った存在へと結晶化していったのです。

つまり、

天御中主神 = 宇宙に最初に現れた神

無の神 = すべての根源にある”意識の源

と捉えることができます。

宇宙創造とは、「無」が「有」へと転じるプロセス

『古事記』の「序文」が伝えようとしていること。

それは「無」があったからこそ、「天と地」が分かれ、宇宙が生まれ、命が芽吹いたということ。

“「無い」という状態が「在る」ということ」”

この逆説的なメッセージにこそ、古代の日本人が持っていた深い宇宙観が込められています。

 創造主に人格はない

ここで、一つ大切なポイントを整理しておきましょう。

・天御中主神=宇宙神=創造神ではあるが、”人格神”ではない
・天御中主神の前に存在する「無の神」=根源の意識=いかなる性格や形も持たない”純粋な存在”

つまり「心優しい神」「怒る神」「罰を与える神」といったキャラクター性は、後に人類が付け加えた”宗教的装飾”であり、本質的な神の姿ではありません。

真の創造主とは、「愛そのもの」であり、形も性格も持たず、ただ”命を在らしめる力”だけを持つ存在なのです。

最初に”肉体”を持った神 ― 伊邪那岐命・伊邪那美命

その後、宇宙には数えきれないほどの神々(光の存在)が現れました。

しかし、それらはまだ「身体を持たない存在」。

そして、ついに――

初めて”人としての肉体”を持った神が現れます。

それが、

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)

この二神が、実際に地上に降り立ち、

山や川、大地、命ある全てのものを生み出していきました。

彼らは単なる神ではありません。

私たち日本人の霊的な祖先として、今も魂の中にその記憶が生きています。

真の神とは創造主ただ一つ

概念内容
天御中主神最初に宇宙に現れた神。姿なき宇宙神。
無の神天御中主神を生み出した”根源”。全ての始まり。
創造主とは愛そのもの。人格を持たない、純粋意識。

~神の本質と”偽りの神々”の正体~

この宇宙には、私たち全てを生み出した「創造主」が存在しています。

その創造主は、人のような「性格」や「意志」を持つものではありません。

あるのはただ一つ、”純粋な愛“のみ。

創造主には善悪も、怒りも、裁きもありません。

それらは低次元的な観念であり、真の神には無縁なのです。

人格ある”神々”の正体は?

では旧約聖書に登場する「ヤハウェ」や、

イスラム教の「アッラー

エジプトの太陽神「ラー」など、

人格を持ち人間に命令を下す存在たちは、一体何者なのでしょうか?

それらは全て、アヌンナキや龍族といった、

地球外生命体――つまり、「高次元の異星存在」であると考えられます。

▸ ヤハウェ=アヌンナキのエンリル

旧約聖書において人類に罰を与え、秩序を強いる「神」ヤハウェ。

その正体は、アヌンナキの中でも権力的な存在であったエンリルです。

彼は人間を監視・管理する存在であり、愛の創造主とは全く異なります。

▸ アッラーやラーも同系統

イスラム教で唯一神とされるアッラーも、

古代エジプトで崇拝された太陽神ラーも、

その根源は同じアヌンナキの系譜にあると考えられています。

名前や宗教が違っても、支配と崇拝を目的とした”人格神”たちは同質の存在です。

本当の神は、静かに全てを包む愛

創造主には名前も姿もありません。

人格や命令を持つ神は、創造主ではありません。

・宇宙を貫く無限の愛、それが本当の”神”です。

・地上にいる心優しい神々等は存在しません。それは神ではなく、アヌンナキや龍族です。

私たちが本当に信じるべきは、外側の神ではなく、内なるハイヤーセルフ=創造主の分け御霊なのです。

あなたの中にある愛こそが、最も真実に近い神の声。

外に「神を探す」のではなく、自分の内側に「神を思い出す」ことが本当の覚醒への一歩です。

神社について

※チャッピーに作ってもらった画像だけど、文字はまだまだ間違える模様。

18菊花紋の神社こそ、本来の神社

日本には「菊の御紋」が使われた神社がいくつか存在します。

一般に天皇家の紋章として知られているのは16枚の花弁を持つ「十六菊花紋」です。

しかし、本来の神々に繋がるとされる神社は、18枚の花弁を持つ「十八菊花紋」の神社であると言われています。

🔹 18菊花紋の神社(本来の神々に繋がる神社)

・鹿児島神社(宇治瀬神社)
・大滝神社
・白旗神社

これらは、ヤハウェ以前の太古からの神々(創造主の系譜)を祀る場所ともいわれており、現代の神道とは一線を画すものとされています。

16菊花紋の神社と「ヤハウェ神(エンリル)」の影

一方、多くの人が参拝する16菊花紋の神社

実はこの16菊花紋は、旧約聖書に登場するヤハウェ=アヌンナキのエンリルに捧げるための象徴であるという説もあります。

つまり、

16菊花紋=支配の神(エンリル)に仕える象徴
18菊花紋=創造主の意思を受け継ぐ本来の神社

という見方ができるわけです。

正しい参拝方法とは?

多くの神社で行われる「二礼二拍手一礼」。

これは明治以降に定着したとされますが、本来の神々にエネルギーを捧げる正しい方法は別にあります。

🔸 三礼三拍手一礼

この参拝方法こそが、魂の本質に繋がる儀式だとされています。

「二礼二拍手」は、実はエネルギーを外部に放出してしまう方法とも言われており、神々(という名のエネルギー存在)に”吸い取られている”可能性もあるのです。

16菊花紋の神社では、祈ってもその意味はありません。 神社の鳥居は、地球の磁場エネルギーの流れを遮断する為に鳥居という名の杭を地中に打ったのです。

神社の真実に目覚めよう

日本古来の精神文化は、長い歴史の中で多くの外部勢力に影響されてきました。

それは神道とて例外ではありません。

・神社の紋章をよく観察すること
・正しい参拝方法を知ること
・そして、心からの感謝と調和の気持ちを持つこと

それこそが、本来の日本の神々(創造の源)に繋がる鍵かもしれません。

あなたが本当の光に繋がるように。知識を持つことは、自由を取り戻す第一歩です。

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