普段聞き慣れない名前なので、記録して残します。
悪魔の歴史
呪いの歴史は世界各地、日本でも古くから行われていました。邪馬台国の女王「卑弥呼」は術師として古文が残っております。
西洋では自然魔術や悪魔崇拝の呪い。
民間信仰では、ハイチ・南アフリカから発祥したと言われるブードゥー教の呪い。
日本の呪いは平安時代の陰陽師などで知られる陰陽道は密教秘術として権力者に重んじられてきました。
日本の「祟り」なども「呪い」に纏わるもので崇徳天皇や将門の首塚の話なども有名です。第二次世界大戦末期の日本では米大統領へ呪いを執行しておりました。
中世ヨーロッパで「黄金の夜明け団」に代表される秘密結社は自然魔術を近代魔術へと導きます。政治弾圧、仲間割れなど秘密結社は解散に追い込まれることになりますが彼らの活動は近代魔術の基礎となり古代の英知である数々魔術書を世に知らしめることになりました。
悪魔と近代黒魔術
世界には無数の悪魔が生息している。
元々、邪悪でしかない悪魔、神の世界から堕ちた天使など悪魔の側面も様々。
神に刃を剥きだし、人には不幸へと貶める悪魔が何故、神に存在を許されるのでしょうか。
魔術の世界で悪魔は闇のエネルギーの存在として高次元に属します。光の高次元の神に対して闇の高次元が悪魔で、神と悪魔は相互のチカラを交差、共同、対立を抑制しあいながら宇宙の秩序を保っているのです。
言わば、神の反作用が悪魔でもあるから神は悪魔の存在を容認するのです。
近代魔術の悪魔論(悪魔学)で悪魔は神の清掃人として破壊的なチカラも神として分類されることもあり、悪魔は無秩序で乱れたものでは無く宇宙の法則に従ったチカラと説いています。
悪魔の存在は確かで、闇のパワーとしてこの世に影響を及ぼしています。貴方が闇を目で確かめようとしたときの象徴が悪魔と言えるでしょう。
光のパワーである天使もまた目では確かめられない様に、目に見えない高次元のチカラは私たちを翻弄もすれば幸せへと導くことも致します。
古代の英知に基づき光と闇のチカラ、天使、悪魔のパワーを司る宇宙の法則に従い操るのが近代魔術で悪魔崇拝や自然魔術を超越したのが近代黒魔術なのです
悪魔崇拝
悪魔崇拝とは正式にはサタニズムと言います。悪魔主義とも言われる宗教的、イデオロギー、哲学的信条における社会現象の1つです。
一般的にサタニズムとは悪魔(サタン)を崇拝して悪の力を持って善なる力と闘い世界を征服すると言う考え方の様に思えますが、サタニズム組織である悪魔教会は、この考え方を否定しています。
また、悪魔(サタン)も実在すると定義も表明はしておりません。
単に物質的な代名詞として悪魔(サタン)を用いています。
悪魔教会の創設者、アントン・ラヴェイは「たとえサタンと言う名の神がいたとしてもあらゆる神を信仰せず、同様に悪魔の掟にも従うこともない」と言っております。しかし、有神論のサタニズムの存在するのも事実です。
サタニズムにも色々な組織、形式があると言うことになります。黒魔術と聞くと悪魔を連想する方も多いと思いますが自然魔術や悪魔崇拝の魔術は古代魔術とも言える古い魔術です。
魔術の歴史で自然魔術から近代魔術へ移行した中世ヨーロッパ、ルネサンス期より様々な思想と魔術は交わり古代の英知、伝承と哲学は大宇宙の法則の解明と実践にて自然魔術から近代魔術へ大きな進歩を遂げ、復讐、呪いと願望を叶える大奥義となっていきます。
悪魔学
キリスト教・ユダヤ教・ゾロアスター教・イスラム教などの悪魔(デーモン)に関する体系的な記述の総称。魔神学、鬼神学、鬼神論とも言います。
悪魔とは1つの宗教の考え方では無く多宗教に共通するものです。時代背景、多民族に渡り悪魔の文献は多く残されて、それらを全て統括した考え方が悪魔学となります。
善と悪に悪魔の始まりがありキリスト教以前、ギリシャでは既に伝承されていました。また、善と悪の二元論が特徴の世界最古の一神崇拝ゾロアスター教が誕生したのが紀元前6世紀。ゾロアスター教の教えは現アフガニスタンの地より世界に広がりました。
近代の悪魔学で悪魔を神に敵対するものとしての考え方が一般的となっておりますが歴史を紐解けば悪魔の象徴サタンは旧約聖書では人間を告発し罰を与える天使であり神の僕の側でも御座いました。新約聖書では神に敵対する者とされています。
悪魔に関しては様々に伝承されるなか紀元前1世紀ごろ黙示録「エノク書」で悪魔・堕天使に関する魔術文献やグリモワールが主に15世紀から19世紀にかけて注目されるとともに多くの魔術が体系化され近代グリモワールと悪魔学が展開してゆくことになりました。
悪魔とは神と密接な関係があるのは明かで神の反面的要素を一手に受け入れた闇の部分です。世界には「光」と「闇」の存在があり、それを否定することは誰にも出来ません。
二つは互いに対立と集合を繰り返して「愛」と「争い」を繰り返す存在と言えるでしょう。
悪魔崇拝についてもっと詳しく
悪魔崇拝者はこのルシファーこそが神より優れた存在であると信じているのです。
「魔が差した」という言葉は悪魔が心の隙間に入ったことを指しています。悪魔は人に力を与えますが人のことをただの道具としか思っていません。
悪魔を崇拝する上でのメリット
- 事業の成功
希望は何でも叶う
思い描いた人生を送ることができる
悪魔を崇拝するための祭壇を持っており、非常に熱心に崇拝行為を行い、一生懸命に悪魔を崇拝しなければならない。しかも、祭壇の様式は旧約聖書にあるソロモンが建設した神殿に似せることに非常にこだわっています。
「おかしい・・・」と、思ったことはありませんでしたか?
悪魔の知恵が現代社会を支配していますので、その事実が表に出てこないだけです。
1日でもおろそかにすると見せしめの罰が起こされます。祠も小さくすることはできません。今より大きくしなければなりません。願いが叶ってその気になり「自分の実力」と己惚れ、信仰から離れると事業は破産、物事はうまくいかないなど破滅の人生を送ることになります。京都などでは屋敷と言われる庭の隅には必ず祠があります。何も御利益がなければ祠を建てる人はいません。悪魔信仰と同じで怨霊信仰は願いは叶いますが、必ず見返りを求められます。
チベット仏教
チベット仏教は悪魔崇拝です。チベット仏教を普通の仏教だと思ったら間違いです。かの地下鉄サリン事件の某主催者もチベット仏教です。
一般的に経典は般若波羅蜜多理趣品、日本では荼枳尼天を拝します。
本来仏教では性交は不淫戒で誡められているが、密教では瑜伽タントラの理趣経や多くの無上瑜伽タントラによって肯定されており、性交を通じて即身成仏に至ろうとする教義解釈がある。
ただし、日本には瑜伽タントラまでは多く伝わっているが、具体的に性交を論じた無上瑜伽タントラは部分的にしか伝わっていないため、立川流を除く多くの密教では性交には否定的である。(註:これは真っ赤な嘘です)
仏教にも表と裏が存在しています。呪いは裏の部分です。
真言密教には「理趣経」と呼ばれる経典があります。
この中にはこんな文言が書かれています。
慾箭淸淨句是菩薩位 – 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である
觸淸淨句是菩薩位 – 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である
愛縛淸淨句是菩薩位 – 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である
一切自在主淸淨句是菩薩位 – 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、清浄なる菩薩の境地である
見淸淨句是菩薩位 – 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である
適悅淸淨句是菩薩位 – 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である
などと書かれています。
悪魔崇拝儀式のかどでイギリスに警告。世界中の悪魔崇拝者が追い詰められる事態に。
悪魔崇拝、怨霊信仰はこの世の中からは消えないでしよう。願いは悪魔崇拝で叶うからです。
日本では行わないが、生贄儀式は世界各地で行われています。例えば、莫大な富を得たいので子供を生贄にします。それで悪魔の力を借ります。
日本では生贄として人間の子供は使いませんが、動物を生贄としています。それによって怨霊や悪魔を呼び出し呪う相手に憑依させます。これは祈願者が怨霊、悪神信仰をするのではなく呪術師や破戒僧の力を借ります。
神社仏閣に「旦那が死ぬように・・・」といくら願掛けしても叶いません。怨霊信仰や悪魔信仰によって願いは叶えられます。
立川流もその一つですが、依頼者は願望や願いが叶えばいい訳です。呪い殺すのに手段は関係ありません。日本では破戒僧と呼ばれます。
目には目の制裁は神仏でなく悪神や怨霊の力で果たすしかないのです。
願望が叶う悪魔教
仏教では性交は不淫戒で誡められているが、密教では瑜伽タントラの理趣経や多くの無上瑜伽タントラによって肯定されており、性交を通じて即身成仏に至ろうとする教義がある。
日本には瑜伽タントラは多く伝わっているが、具体的に性交を論じた無上瑜伽タントラは部分的にしか伝わっていない為、立川流を除く多くの密教では性交には否定的である。
特に髑髏本尊は大頭、小頭、月輪行などの種類があり、この建立に使われる髑髏は王や親などの貴人の髑髏、縫合線の全く無い髑髏、千頂といって1000人の髑髏の上部を集めたもの、法界髏という儀式を行って選ばれた髑髏を用いなければならない。
こうして選ばれた髑髏の表面に性交の際の和合水(精液と愛液の混ざった液)を幾千回も塗り、それを糊として金箔や銀箔を貼り、さらに髑髏の内部に呪符を入れ、曼荼羅を書き、肉付けし、山海の珍味を供える。
しかもその行の間絶え間なく本尊の前で性交し、真言を唱えていなければならない。これは悪魔崇拝です。
約7年間もの歳月で作られた髑髏本尊はその位階に応じて3種類の験力を現す。いちばん上は、あらゆる望みをかなえる、中位では夢でお告げを与え、上位のものでは言葉を発して三千世界の全ての真理を語る。
この淫靡な儀式の奥には別の真実が隠れている。理趣経は本来男性と女性の陰陽があって初めて物事が成ると説いている。
この儀式に7年もの歳月がかかるのは、その過程で僧侶とその伴侶の女性が悟りを得ることがその目的だからである。
立川流の真髄は性交によって男女が真言宗の本尊、大日如来と一体になることである。この点において、「女性は穢れた存在であり、仏にはなれない」と説いていた既存の宗派と異なる。
「立川流」は表向き、その余りに過激な内容のせいで江戸時代に断絶したということになっているが、ウィキペディアには「その独特の教義は仏教の各派に多くの影響を残し、「立川流」の悪魔崇拝は今でもこの世の中でひそひそと横行しています。
「密教」では、「灌頂」という儀式が行われ、この儀式は「頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結び、正しくは種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とするための儀式」とウィキペディアでも説明されています。
密教には「金剛密教」というものがあり、この「金剛密教」の経典に正体が詳しく書かれています。これは悪魔崇拝そのもので、悪魔に依頼すると願望が叶えられる、というヨーロッパの悪魔崇拝と通じるものがあります。
人々はその悪魔崇拝者たちに支配され続けて神様を拝む人があまりにもいなくなりました。そして今もその末裔たちがこの社会で悪魔崇拝をして悪の限りを尽くしているのです。悪霊やサタンは憑依して操っていた人が死ぬと代わりを探し出して憑依をします。
TVは洗脳装置です。マスコミや政治家たちはグルになって未だに嘘をつき続けていますが、ファイザーが認めた以上隠し通すことはできないですね。
コロナの真実に気づいてワクチン接種を中止している海外と逆を行く日本。
余ったワクチンを消費したいのか、全国民に危険なワクチンを打たせて殺そうとしているとしか思えませんが、まともな判断ができる政治家がいない日本はどこまでも国民が苦しむことになります。この事実が悪魔の仕業です。
霊媒師になる為に殺人を犯したあの事件・・・実は
この事件の根元になるのは悪魔崇拝です。容疑者がどこかの霊能者と知り合い、悪魔が憑依したからでしょう。
母親を殺して人肉を食べたのは悪魔崇拝だからです。サタンの貢物として人肉を祀り、その一部を食べるのはサタンのしもべになる証です。
しかも世界の支配者層の中に、、、
まとめ
常に人間は欲と隣り合わせ。実際私も殺意湧くことはあるし、呪い代行でも頼もうか、とも考えたことがあります。
それぐらい人間のいきすぎた執着や怨念は怖い。そういう目先の欲に駆られて行動する人間を見て気付かされることもありました。(それで学ぶことは出来ましたけど)
視野が狭くなり、誰にも相談が出来なくなった時にはもう遅いかもしれない。なので、第三者の客観的目線で指摘してくれることは有り難いこと。
友人・知人が闇に飲み込まれそうになったら声をかけましょう。
そして自分もたまに怒りに囚われて0か100の考えを持ってしまいがちになるので、ひと息おいて冷静になることも大事。
心も身体も悪魔に囚われたらもうおしまい。
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