卑弥呼は複数いた ― 固有名詞ではなく「称号」説

世界の歴史

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はじめに

卑弥呼と邪馬台国——これは日本古代史最大のミステリーの一つです。 長年、「奈良(畿内)説」と「福岡(九州)説」が論争を何処かでは繰り広げてきましたが、実は今、福岡県=邪馬台国説が99.9%の確率で正しいとする見方が急速に支持を集めています。(私は割と最近知った者です。

その根拠を徹底的に解説しながら、卑弥呼の真の姿にも迫ります。

出来事年代考察
倭国大乱2世紀後半多数の小国の内乱が続く
幼女の卑弥呼、女王に180年頃?実質政権スタートは10代?
親魏倭王(金印)239年(正始元年)この時点で60代なら、就任から50年も在位?不自然
卑弥呼死去247年または248年大規模な墳墓と殉死者記録あり

卑弥呼とは?

・漢文では「卑しい者(謙称)の巫女(ミコ)」と読まれるが、実際は「日の巫女=日御子(ヒミコ)」の音写と考えられる
・よって、歴代の祭祀巫女(シャーマン女王)につけられる名称であり、1人の固有名詞ではない
・神託を受け、国家に示す「祭祀王」的なポジションで、政治は弟(伊声耆/イキキ)や補佐が担うケースも

一代では不可能な在位年数

在位約60~70年は、当時の寿命や権力構造からみても不自然

巫女は神秘性と若さが重要視されていた可能性が高く、30代で交代するシステムが現実的。よって、3~4人の卑弥呼がいたとするのは非常に妥当です。

複数の墓と東遷

①「箸墓古墳」の卑弥呼

・魏からの冊封を受けた「権威ある卑弥呼」
・おそらく239年頃の卑弥呼で、大和政権の中心に存在
・魏志倭人伝の「殉死者100人」や「巨大な墓」はこの人物に合致
後の天皇家と直結する存在の可能性

②「吉野ヶ里の卑弥呼」

・248年に死去したとされる人物
・九州北部での祈祷政権が終焉、男王(壱与前の男王)に交代
・女性政権に対する不満や内紛で、暗殺説
・東遷の途上で吉野ヶ里に葬られた巫女的存在

天孫降臨との接続

「日御子(ヒミコ)」が複数代で全国を巡り、祭祀ネットワークを築いた。

九州~大和にかけての政権移動(東遷)も、天孫降臨神話(ニニギノミコトの降臨)と重なる。

つまり卑弥呼の霊統(ヒミコ→ヒコ→ヒコホホデミ→ニニギ)という流れが読み取れる。「卑弥呼複数説」は、神話と史実を橋渡しする鍵でもあるのです。

【1. 『魏志倭人伝』が示す地理と方角】

中国の歴史書『魏志倭人伝』では、邪馬台国までの道のりが詳細に記されています。

  • 狗邪韓国(朝鮮南端)→対馬→壱岐→末盧国(佐賀)→伊都国(糸島)→奴国(福岡市)→不弥国(宗像)→投馬国(筑後)→邪馬台国

この道のりを素直に読み解くと、福岡県〜佐賀県一帯に邪馬台国が存在した可能性が非常に高いのです。

② 伊都国の中心が福岡県糸島にある

『魏志倭人伝』では、「邪馬台国以前に外交を担っていた重要国」が伊都国。

福岡県糸島市には平原遺跡三雲南小路遺跡等、弥生時代の王墓や大規模遺構が残る。卑弥呼に先行する「外交中継地」として理にかないます。

③ 実際に「卑弥呼時代」に対応する遺跡が多数出土

福岡県内には以下のような考古学的証拠が揃っている。

吉武高木遺跡(福岡市):大型建物群と祭祀施設(女王都の可能性)
須玖岡本遺跡(春日市):銅鏡・銅剣が多数出土し、奴国の中心とも言われる
平原遺跡(糸島市):国内最大級の「内行花文鏡」(中国製鏡)を納めた女王墓の可能性

④ 古代中国との近さ

対馬・壱岐を経て朝鮮半島と直接繋がる地理的な優位性。中国(魏)からの使節団が最も来やすい場所であり、「狗邪韓国→対馬→壱岐→九州」ルートが現実的。

「畿内説(奈良・纒向)では駄目なのか?」という反論も

近年の纒向遺跡の発掘により、奈良説も非常に強くなってきている(箸墓古墳=卑弥呼墓説等)。

ただし、『魏志倭人伝』の記述と照らすと「距離や方向が不自然」との批判が根強い。

どうして「福岡説」が”99.9%”とまで言われるのか?

(どうして〜どうして〜💃🕺🏻が空耳として聴こえる。)

それは、邪馬台国というのが本来「一元的な都」ではなく、「連合政権的・ネットワーク的中心地」だったと考えると、初期の拠点は確実に九州だったからです。

・卑弥呼は元々、北部九州の祭祀王として立った
・そこから東へと勢力・霊統が広がり、後世に「天孫降臨」「大和政権」へと繋がっていく

卑弥呼=全国にいた巫女的存在

「卑弥呼」は固有名詞ではなく、祈祷を行う女性の役職名でした。

したがって、全国に「卑弥呼」は複数存在したと考えられます。平均寿命40歳程度の時代に、70年の政権を1人が維持するのは非現実的。

卑弥呼は代々世襲され、3〜4人いた可能性が高い。

これが、全国に卑弥呼伝説がある理由であり、大和を中心に安全保障や政略結婚を通じてネットワークを広げていたと考えられます。

=全国各地に実在した「日御子(ヒミコ)」たちの記憶

1. 卑弥呼=称号・職名(日御子)

卑弥呼とは一人の女性の名前ではなく、「日御子(ヒミコ)=太陽の巫女・祭祀王」という職位。この地位に就いた女性は、各地に存在した国家・部族においても必要不可欠な存在だった。

ホツマツタヱ』などの文献では、卑弥呼はアマテル(天照大神)の子孫、あるいはその化身であるともされ、単なる巫女ではなく、「日の巫女」すなわち太陽神の代理者という極めて崇高な地位を担っていたことも想定されます。

天照大神って主に巫女のような活動ですよね。

2. 国家間の安定=日御子との婚姻

卑弥呼(日御子)を擁立または迎え入れ、大和(中央)との婚姻・祭祀連携を結ぶことで、地域の政治的・霊的安定が得られた。

古代日本では「霊的正統性」は政権の正当性と同一視され、ヒミコの存在がその証となった

3. 外交・祭祀の権威を担保するため

「魏」や他国との外交文書・進貢においても、中央の卑弥呼の名義で各地の豪族が使者を送り出すことで、統一性と一体感を演出した。

しかし実際には、各地にそれぞれ「正統なるヒミコ(分霊的存在)」が存在していた。

中国の史書『魏志倭人伝』では、「倭国に女王がおり、その名を卑弥呼といった」と記述されていますが、「卑弥呼」という言葉は、

・「卑」=謙る(へりくだる)という意味を持つ接頭語
・「弥呼」=「常に神に呼ばれる者」、つまり「神と通じる巫女」

では何故、中国の史書は「大和の場所」を特定できなかったのか?

魏志倭人伝では「倭国は南に行くと邪馬台国がある」とあり、九州から南方向に進むと記されている。

しかしこの「方向の混乱」は、次の理由で説明できます。

各地に「邪馬台国的なヒミコ政権」があった

邪馬台国というのはヒミコの拠点となる祭祀中心地のことであり、時代や地域によって「移動」していた可能性。

また、地方の卑弥呼たちも「邪馬台国のヒミコの代理」「支部の巫女王」だった為、中国の使者に「自分たちこそ邪馬台国」と伝えた部族もあった。

伝承が残る地域の例

地域卑弥呼・日御子伝説の名残
九州(吉野ヶ里、筑紫)初期王権の女王伝承・墳墓の存在
大和(箸墓、纒向)正統な日御子の中心地・天皇家との繋がり
出雲巫女王や神官の伝統、稲佐の浜神迎え
丹後・丹波女神信仰と日御子伝承が強い
伊勢・熊野神女(斎宮)伝統、アマテラス伝承との重複
北陸・信州巫女的伝承や祈祷文化が今も濃い
東北(岩手・山形)日神信仰とミシャグジ・オシラ様系の伝承

何故、奈良(畿内)説が支持されるのか

奈良県桜井市の「纒向遺跡」や「箸墓古墳」が、卑弥呼の墓の可能性があるとして、注目されています。

しかし、

・『魏志倭人伝』の距離と方向が奈良では不自然
・箸墓古墳は2代目の卑弥呼か、その後継者のものとも考えられる

つまり初期の拠点はやはり福岡であり、大和はその後に権威が移った「第二段階」である可能性が高いのです。

『魏志倭人伝』に記された「韓伝」と「秦人」の謎 

『魏志倭人伝』の前に書かれている「韓伝(かんでん)」には、「卑弥呼」と「邪馬台国」だけではなく朝鮮半島の歴史や倭(日本)との関係が記述されています。

その中に次のような興味深い記述があります。

「辰韓には秦人が多く移住してきた」


これが弥生人の一派と考えられますが、実はユダヤ人です。

4世紀、このユダヤ人の一派が朝鮮半島を通って、日本の九州にやって来ました。それが「秦氏 (はたうじ) 」です。

秦氏にはいろいろな流れがあります。

騎馬民族や、文字通りの秦の始皇帝に仕えていた者たち、彼らも「秦」と名乗りました。

【まとめと結論】

・邪馬台国の出発点は「福岡県=北部九州」
・考古学・文献・地理の全てが一致
・卑弥呼は複数人いた役職名であり、巫女の頂点として全国に影響力を持っていた
・九州から大和への政治的なシフトが、天孫降臨や大和政権の形成に繋がっていく
・最終的に邪馬台国が「一つの場所」ではなく「連邦的な巫女王国群」だった

これらを踏まえると、「邪馬台国=福岡説」は歴史的事実として極めて有力な立場であると言えます。

正統竹内文書においては、歴代の「日御子(ひみこ)」という存在は特定の個人ではなく、歴代にわたって神と交信する祭祀王としての称号・役職名です。

政治的実権を持つ「統治王(オオキミ/スメラミコト)」とは別に、精神・宗教面の最高責任者

統治王(スメラミコト)は、「日御子」の神意を受けて統治を行うとされており、いわば神政一体の仕組み。天皇を敬っていう言葉です。

卑弥呼は巫女制王政の象徴であり、政治ではなく神託を行う霊的指導者。複数代にわたり祈祷王として君臨し、歴史の中で男王政に吸収・統合され、神話へ昇華。

その霊系は天照大神、天孫降臨、そして天皇家へと継承をしたということでしょう。



今でいえば卑弥呼48みたいな感じですね。(←おもんない)シャーマンの活動をなさってた人もいたでしょうし皆さん色々とお疲れ様でした。

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